花灯り

蕾の先

「膝を貸してほしい」

少しだけ何か考えたそぶりを見せた後に、煉獄さんは真っ直ぐ眼差しを私へ向けた。
私ばかりが、沢山沢山煉獄さんに貰っていると思っていた。だから何をしてほしいか面と向かって尋ねてみたのだ。桜はまだ花開かないいつもの縁側は今日も穏やかだ。

「……膝?」
「膝だ」

それであるのに、私の胸中は穏やかではない。そういうことを頼まれるとは思っていなかったから。もっと、家のことを任せてくれるとかそういう、煉獄さんの役に立てることをしたかったのだけれど、斜め上の回答に瞬きを繰り返す。

「えっと、」
「駄目だろうか」
「いや、そういうわけではないんですけど、それとは別として、」
「ありがとう」

困惑する私に煉獄さんは御構い無しだ。隣に座っていた上体をそのまま私へと倒す。流れるような早さに止める隙もなかった。止めるつもりはなかったけれど。
膝下へと手を伸ばし、煉獄さんの髪へ触れた。ふわふわとしている。

「あの、こういうことはいつでもします。今私が言ったのは、そうでなくて」
「もう十分俺は沢山貰ってるぞ」

猫っ毛の髪を撫でていた手を止める。同じことを思っていた。でも沢山貰っているのは、絶対に私の方だと思う。私は何もしていないのだ。ただ、そう、煉獄さんに幸せになってほしい。それだけだった。

「……もっと、なんでも言ってください。なんだってします」
「言っただろう。俺はが涙を流さないでいてくれたらそれでいい」
「煉獄さんは夢はありますか?」
「急に話を変えるな」
「鬼を退治するとか、そういうこと以外で」

話を進める私を見上げた煉獄さんとぱちりと視線が交差する。聞いたことがなかったし、安易に聞けるものでもないと思っていた。今までは。
問いかけた私に煉獄さんはさっきと同じように瞼を伏せて何かを考えていた。すぐに夢が出てこない、その事実に胸が痛くなる。

「……未来には、鬼はいません」
「……」
「もうすぐかもしれません。その時煉獄さんは、何がしたいですか?」

もしかしたら、この先ずっと後の未来も私が知っている時代ではなくなってしまうのかもしれない。確かなことはわからないけれど、でも煉獄さんに、普通の人が思い描くような夢を見てほしかった。
顔を顰める私が煉獄さんの瞳に映る。それを見て、息を吐くように笑いながら起き上がった。

「君は、俺が夢を持たない人間だと思っているのか?」
「だって、人の幸せを願う人じゃないですか……」
「あるぞ、夢」

これから訪れるであろう春の気候に似合う穏やかな笑顔だった。その表情に魅入ってしまっている私の手をそっと包み込む。

「家族と暮らすこと。それだけだ」
「家族……」
「ああ、それが俺の幸せだ」

私が尋ねてすぐに考えて、言うのを躊躇っていた理由は、優しく包み込まれた手の暖かさに関係しているのだと、思い過ごしではないことはその瞳が物語っていた。

「君も、いてくれないか」

両手で包み込まれた手からじわりじわりと、身体中が火照り、その眼差しにどくどくと胸の音が響き渡る。
言葉の意味を察してこくりと唾を飲み込んだ。

「この先ずっと、俺が君のことを幸せにすると誓う」


──俺が君のことを幸せにする




すぐに頷くことができなかった私に、煉獄さんの思いを受け取る資格があるのだろうか。
初めて杏寿郎さんと会った日。全く同じ言葉だった。きっとずっと忘れることのない、私と杏寿郎さんのはじまりで。
時間が解決して、気持ちに整理がついていたと、勝手に思っていた。
反応がなく、なんと声に出せばいいかもわからない私に煉獄さんは言ってくれたのだ。返事はいつでもいい、と。いつでもいいことなんて、決してない。煉獄さんのような人だから、私が返事をしない限りきっといつまででも待ってくれる。それがわかっているからこそ、このままでは駄目だと思っていた。

「煉獄さんの側にいたいと思っているはずなのに、迷っている自分も嫌なんです」
「……そっかあ、難しいわね……」

久しぶりに訪れた甘露寺さんのお屋敷は、蜂蜜の匂いが充満していた。どこかでもう花が沢山咲いているのだろう。教わった桜餅は上手くできたのに、心の底から美味しいと思うことができない。

「でも、ちゃんが自分のことを嫌いになっちゃ駄目よ」
「……」
「好きな人の好きなものを否定することになっちゃうわ」

パクパクと、一口サイズのそれを飲み物のように平らげていく甘露寺さん。変わらないその姿にすでに懐かしさを覚えてしまうほどには、私の頭は煉獄さんで染められていた。

「そんなの、きっと煉獄さん悲しむわ」
「……そう、思います。私も」
「悩んでほしいわけじゃないと思うの。心のままに生きてほしいんじゃないかしら、煉獄さんは」

目尻を下げ、どこか遠い場所を見つめる。言葉の重みを感じる。きっと、私が知らない何かが煉獄さんとあったのだと思う。多分甘露寺さんだけではなくて、同じく鬼に開かる隊士の人たちもきっと大勢。

「悩ませることを言ったのは煉獄さんになっちゃうかもしれないけど……」
「いえ、勝手に悩んでいるのは私なので……ただ本当に、煉獄さんの思い描く夢にいるのが、そんな私でいいのかと、怖気付いて……」

恋人として、煉獄さんの側にいるのだからいずれは、と、わかっていたことなのに。いざその場面に直面した時の自分が情けない。何が煉獄さんに幸せになってほしい、だ。自分のことしか考えていない。脳裏に過ってしまった杏寿郎さんのことがそれから頭から離れずにいた。

ちゃんだからいいのよ」
「甘露寺さんは、なんでもかんでも肯定してくれますけど……」
「ええっ、違うわよ!本当に、煉獄さんとちゃんとっっってもお似合いだと思ってるのよ!?」

真っ直ぐなところが、煉獄さんとそっくりだ。師弟として一緒に過ごしていたから似たのだろうか。
だったら、私も煉獄さんに似てきていてもおかしくはないと思うけど、自分ではわからない。
慌てたように否定する様子に自然と笑みが溢れた私を見て、甘露寺さんも口角を上げた。

「あのね、今、煉獄さんを幸せにできるのはちゃんしかいないと思うの」
「……」
「私も煉獄さんに沢山助けて貰って、恩返しをしたいけど、煉獄さんが思い描く夢はちゃんじゃないとできないわ。だから、ええっと、無理強いするわけじゃないんだけど……あら、でもしてることになるのかしら……!ううーん!」
「だっ大丈夫です!伝わりました!」

一度落ち着いたと思ったら悩ましげに眉間に三つ編みを左右に振る甘露寺さんへ、一先ずお茶を差し出す。
私から湯呑みを受け取りごくりと喉を通した後に、一つ息を吐いて頬を両手で覆った。

「素敵な報告、みんなにしたいわ」
「みんな?」
「ええ、もうすぐ柱のみんなと会えるのよ。しのぶちゃんもいるわよ!煉獄さんには素敵な恋人がいるんですって自慢したいの!私が!」
「じ、自慢になるかどうかはわからないので、遠慮していただけると……」
「ええー!」

言う、言わないでください、と、そんな小さな攻防が続いて、いつの間にかに随分と気が楽になっていた。
甘い香りのするお屋敷を出て、煉獄さんのお屋敷へ帰る頃にはもう薄暗くなっていた。日中は暖かかったけどやはり少しだけ冷える。吹いた風に身震いをして、早く中に入ろうとしたところで目の前に舞った薄紅色に足を止めた。桜の花弁だ。
もしかして、と中には入らずにそのまま庭へと回ると、やはり蕾だった桜の木は満開ではないものの咲き始めていた。

「風邪を引くぞ?」

ぼんやりと、その桜を見上げていると降りてきた声と肩にかかった羽織。いつも、煉獄さんが身に纏っているものだ。本人に包まれているような感覚になりながら、羽織をギュッと掴む。

「帰られてたんですね」
「巡回だからな、何もなければ早く終わる」
「お夕飯どうされました?すみません、甘露寺さんのところへ行っていて」
「君は女中として俺の側にいるのか?」
「いえ、でも……」


俯いたまま目を合わせず、羽織を握っている私の手を煉獄さんの大きな手が包み込む。

「俺の中で、君は大切な存在であることに変わりはない。だが、それは俺だけの話だ。君の中で、俺は生涯二番手で構わない」

どくりと、痛い思いが胸に刺さった。煉獄さんは、全てを受け入れてくれている。本当なのだろうか、でも、本心でないことを口にする人ではない。そもそも、私の中でだって煉獄さんは、とうに一番になっている。世界で一番大事な、大切な人。

「一番です」
「……」
「私も、この先ずっと煉獄さんの側にいたいです。幸せになってもらいたいんです。それなのに、迷うことがこれからもあるかもしれません。だから、こんな私でも、煉獄さんさえよければ……」

いつか帰った時のことを考えてしまったら、正しい選択なのかはずっと答えのない問いだった。でも、私も煉獄さんのように今の自分の気持ちに正直にいたい。好きだから、愛しているから、生涯側にいたかった。
見上げた先に見えた煉獄さんの表情は、春に咲く花のように柔らかかった。

「これ以上ない幸せだ」

そんなことは決してない。もっと、これから先煉獄さんが幸せだと感じることを二人で、沢山していきたい。感じていきたい。
私が首を振ろうとする前に、暖かな身体に包まれる。羽織で煉獄さん自身に包まれているような感覚になってしまっていたけれど、何倍も、何十倍も暖かくて優しかった。